日々妄想を逍遥

ダイアリーから移築。中身は変わらずに色々と、あることないこと書き込んでます。

ちょっと気になったので書いてみるって話

あなたの作ったものはゴミである、あるいはプロとアマの分岐点という記事を読みました。

うーん・・・違和感半端ねぇのよ。
確かに、生きていればこの手の経験を沢山するよ。
どんなに頑張ったって、それこそ血反吐吐き出す思いで仕事仕上げたって、依頼者の意図に合わなければ、沿わなければゴミとなる。
依頼者の意図に合わせた仕事を行う事がプロだと言うならば、プロとアマの分岐点は、ゴミと言われる事に耐えて何度も繰り返し続ける事が出来るか否かだと思う。
ただ、その考えで進行すると怖い事が一つ。

間違った「お客様は神様だ」精神の横行が何よりも怖い。
プロフェッショナルな仕事=依頼者の絶対性、そんな図式が出来上がる気がする。
こうなってくると、ゴミだと言われ耐える事。その行為の意味が違ってくる。一方的になってしまうのではないか。
お金を貰う以上、それなりに我慢する譲歩する部分は出てくるだろう。でも、我慢しては行けない所まで我慢を強要する様になってしまわないか。


ちょっと飛躍し過ぎた考えかもしれないけど、古歌のこの記事から、そーゆー違和感を受けました。
お前ら黙って耐えろ。我慢しろ。そんな精神マッチョな違和感。
古歌は雇われ人だから、ゴミと言われる立場。だからこそこの記事に反発とか違和感覚えるのもあるのかなとは思うけど。
これがもし、雇う側だったらまた違った見方も出来るのかな?
でも、古歌は自分が成した仕事をゴミだと切り捨てる人間とは仕事出来ないけどね。
切り捨てる事と洗練されることが混同されてるんじゃないかな。


でも、この記事の一部は古歌の考え方とリンクする。
この部分。

そして、「頑張ること」それ自体に価値があるのはアマチュアの世界、価値がないのがプロフェッショナルの世界である。
全ての人がプロフェッショナル的に仕事をするべきだ、とは僕は思わない。
でももしプロフェッショナルになりたいのであれば、「僕、努力したもん」は封印しなければならない。そんなこと、他の人は知ったこっちゃないのだ。

これは、ちょっと解る。プロとアマって観点じゃなくて、お金を貰う仕事って考えた時に。

いくら努力をしようが、どんなに頑張ろうが、そんなのお金払う側は知ったこっちゃないんだよ。
お金に見合う対価を得られなければ、それはお金を払う価値がない。
いくら「僕、努力したもん」と言い張った所で、その努力が成果に繋がっていなければお金は払えないよ。

じゃ、払う金額とその対価って考えた時。
それは払う側の価値観に左右されるんじゃないか?
一般的に価値観が固定されてるモノ、そうじゃないモノ。その微妙なサジ加減こそ、左右される一番の原因か。

うん?自分で言ってて解らなくなってきたぞ?


つまり、仕事として固定した価値観が一般的に普及してる職業。これは生活にリンクするモノだから、払わざるを得ないって部分が大きい。
では、それ以外の仕事。クリエイティブな仕事ってなるとどうなるのか。
仕事に対しての価値が素人には解らないのですよねー。
それなのに、上がってきた作品がイメージと違う事でゴミ扱いするのは如何なものかと思うのですよ。


あれ?結論オカシイ。言いたい事と微妙に違う。
つかゴメン、すげぇ今更だけどクリエイティブな仕事って何?
ただ精神マッチョ理論が嫌いなだけで随分飛躍したぞーい。


依頼者と被依頼者の関係が一方的になるのは頂けないって事が言いたいけど、そこに上手く理論を運べない。
真面目な文章はトコトン書けないなぁ、古歌さん。

取り敢えず、この精神マッチョ論を賛美する人とは仕事出来ないなぁと思います。
私は耐えた!だからお前も耐えろ!って理論でゴリ押しする人って苦手なんだよ。そこで会話が途切れてしまうから。こちらが打開策を打ち出した所で、思考が固まっているので検討することすらしない。
そこで耐えるんじゃなくて、何とか固まった天の岩戸をこじ開ける解決策を考えないといけないんですけどねー。


ごめん、真面目に書くつもりが結局おちゃらけた。
ちょっと反省してくる。でも、ぼんやりとでも疑問に思った事を考える&書く癖を付けるぞいって思いました。まぁ、これは覚書だ。覚書。便利な言葉だなー、覚書。
では、言い捨てごめん。らぶぅー。