日々妄想を逍遥

ダイアリーから移築。中身は変わらずに色々と、あることないこと書き込んでます。

これから始まる物語

歩き出した時間は止められない。
それならば、せめて悔いることのない時間を歩みたいと。
そう言って前を見据える瞳の強さに、少しだけ怖くなった。



遥か昔に、数多の人間の思いを刻み込まれてなお倒れない、まるで救世主のような生き物が存在したらしい。私達はその生き物が生まれた場所に立っている。
御伽噺のような本当の歴史の物語。そして、この世界に生きるものなら誰でも知っている話。
さぁ、果たしてそんな人間が本当に存在し得たのか?誰もそこに疑問を抱かない、ある意味ではとても愚鈍で幸せな世界なのだろうけど。それでも私達は疑問を抱かずに生きていけない。そんな夢物語に縋りたいくせに、抱いた疑問は日増しにその勢力をまして、せめて慰めでも一時の夢に酔いたいのに。さて、どうしたものか。
この場所で、救世主の存在を疑っていますなどと言ったが最期、八つ裂きにされるのは必須だろう。何時投げ出しても構わない命だけれども、そんな些細な言葉で死ぬのは趣味じゃない。何時投げ出しても後悔がないからこそ、投げ出すタイミングは選びたいものだから。
隣、漆黒の髪を風に遊ばせながら、彼女は真っ直ぐに救世主の眠る墓を睨みつける。その視線は、まるで憎き仇でも見るかのごとく厳しい。彼女が嫌いなあの黒い虫を見たときでさえ、こんなに凍えそうな顔をしないのに。
今、何を考えているのか?
短くない付き合いでも、一向に彼女の胸のうちは覗けない。いっそ何も知らなければいいのに、無駄に長いだけの時間がうっすらと透けさせた彼女の内側。過去を切り捨てるような生き方をしているはずなのに、透けて見える彼女の過去。


「彼女、か。」
「は?何か言った?」
「いや、何も。」


漆黒の髪と、少しだけ琥珀のかかった黒い瞳。美しいと、素直に思える。薄い唇はまるでサクラの花弁だ。その唇がとてつもなく冷たいのは、すでに体験済み。
細く伸びる首に巻かれる真っ白なスカーフと、襟元まで詰める黒い服。背中に背負う漆黒の長刀。そう、彼女は黒と白しか身に付けないのだ。
女のように伸びた髪と、ほっそりとした体。誰が何処から見ても、女。だけれども、彼女は彼女でない。


「行くか?」
「あぁ。気は済んだ。こんな紛い物の地に用はない。私が欲しいのはあくまで真実を告げる証拠だけだ。こんなに新しい作り物が墓だとは笑わせるな。」


はっと短い吐息で笑った彼女は、興味が失せたと背中を向ける。
なぁ、お前は一体何を求めて何を見ている?
聞きたいと思っても聞けたためしがない。私は、多分とんでもないチキンなのだろう。もしも、不用意に踏み込んでしまって、今のこの細い関係が切れてしまったら。それこそ、私がもっとも恐れる結末。
どうか、このまま時が途切れる事無く共に何処までも歩いていきたいとか。笑える三流映画の脚本みたいだ。


「次は?」
「もう、この場所に意味はない。完全な無駄足だ。私は用はない。」
「それじゃ・・・。」
「お前は?」
「・・・はい?」


次の場所を示そうと中途半端に広げた地図を抱えたまま、多分間抜けな顔をしたのだろう。私を眺めた彼女は小さな舌打ちを一つ。


「お前の目的は、終わったのか?」


私の目的?そんなもの、何一つないよ。ただ、彼女と共に存在できれば、それこそが私の目的だ。


「あぁ、いいんだ。」
「そうか。」


きっと前を見据える瞳、彼女の漆黒だけれども何処か甘い琥珀のような瞳。
その先に、世界はどんな風景を彩るのか?切り取って、その瞳を己の眼孔に埋めれば、同じ色彩で世界を見られるのか。
それは、あまりにも馬鹿らしくて魅力的な思考だった。
あまり、真っ直ぐに世界を見ないで欲しい。その瞳の強さが、私は少し怖いんだ。


「それでは、次の場所へ。」
「そうだな。」


何処までも、何時までも、新しく始める物語。