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日々妄想を逍遥

ダイアリーから移築。中身は変わらずに色々と、あることないこと書き込んでます。

あぁ捨てられないってのも大切だなって話

雑記

断舎離している人の怖さ

 

ちょっとこの記事を読んで思ったことをツラツラ書こうかと思います。

捨てられないことによって家の中に物が貯まる状態って、そんなに悪いの?と思ってしまうお馬鹿な古歌さんです、ども。

リンク先の記事なんですが、断捨離って怖くね?って話のようです。まぁ読んでください。ちょっと解るような感じがする方は友だちになりましょう。すいません、調子乗りました。

 

さて、断捨離。古歌さんの周りでも流行ってますし、つい最近の引越しで断捨離の真似事をしてみたんですが。

物理的にモノを減らさないとダメだった場合の捨てるっての断捨離に入るんですかね。

 

断捨離(だんしゃり)とは、不要なモノなどの数を減らし、生活や人生に調和をもたらそうとする生活術や処世術のこと。(Wiki先生より抜粋)

だ、そうです。えー、じゃぁ古歌さんがしたことは違うじゃん。

別に不要なモノを捨てた訳でも、数を減らして調和をもたらそうとしたわけでもねーし。

基本的にはヨガの行法、「断行(だんぎょう)」、「捨行(しゃぎょう)」、「離行(りぎょう)」という考え方を応用して、人生日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え方、生き方、処世術である。単なる「片づけ」や「整理整頓」とは一線を引くという。

 

断=入ってくる要らない物を断つ
捨=家にずっとある要らない物を捨てる
離=物への執着から離れる (さらにWiki先生から抜粋)

 

んー、これを古歌さんなりに理解すると、つまりもったいない精神で溜め込んできた「いつか使うかもしれないモノ」シリーズを全て捨てることでスッキリお片づけでついでに精神の余裕を手に入れようぜイエーイってことですか。

 

あ、無理だ。理解できね。

 

断捨離って考え方は悪くないし、それはそれで清々しい生き方だと思います。

本当に生活に必要なものだを身近に起き、例え誰に何を言われても私が必要としないんですって己の矜持を持った生き方は、それはそれで美しいと思う。

 

で、冒頭の匿名ダイアリーのリンクに挙げられている、ゆるりまいさん。

この方のブログを見て、写真を見て、古歌さん呆然。

 

え、断捨離ってこんなに何でも捨てるし、ここまで何も持たないものなの。

 

薄ら寒いぜ。背中が寒い。

えーっと、古歌さんはこの部屋で過ごす姿をリアルに想像できない。ブログを読んだ感じ、旦那さんもお子さんもいるようですし、ってことは家族で暮らしている家なんだよね?

えーっと、古歌さんには、機能美とか実用美とか一切感じないタダの殺風景な部屋にしか見えないぜ。

えー、まじかー。

この空間で生活しなさいって言われても、古歌さんには出来ません。

出来ない理由を考えてみました。

 

一つ、古歌さんは適度に物がごちゃっとしていないと落ち着かないタイプの人間です。

理想は四畳半一間でコタツから全てに手が届くって感じ。そして必要なモノが案外結構あるんだよ。それを隠したら使いにくいし、めんどくさい。テッシュとか、鋏とか、マステとか、灰皿に煙草に目薬とかのポーチもそうだしパソコン、パソコン周りにはメモとか本とか付箋とか必要だし、メモもいる。

ぱっと思いついた限りでこれだけ必要。そしてこれは隠すと、かなり面倒なんです。

引き出しに収納とか、出来ないよ。今すぐいるんだもん。

つかそもそも収納するのがメンドイ。が、これを言い出すと断捨離じゃなくて隠す収納の話になりそうなんで却下。

まぁとにかく、ここまでデスク周りをスッキリは出来ないし、台所なんてもっと色々出しっぱなしだよ。

 

一つ、めんどくさいです。

物がないってことは、その都度必要なものしかないわけで、咄嗟にあるもので対応できないじゃないか。

引っ越して何が一番困ったってコレなんだよ。

例えば、引越しの際に古歌さんが捨てたもので包装紙とかリボンなんかの切れ端、布の余りとか、ジーンズの裾上げで出た切れ端。

これ、全部捨てました。その結果、ちょっとした時に使いたいと思ってもないんだよ。

明日の朝にちょっとラッピングして人様にあげようとか思っても、ラッピングの材料がない。封筒の適当な大きさの物がないから切り張りリサイクルするかと思っても、切り張りの元がない。

わざわざ材料を買って揃えるまでもないが、なんか一声欲しいぜって時に困る。

そして、きちんと整理整頓するって案外使い勝手悪いし、面倒なんだよね。

 

 

古歌さんには、絶対に出来ない。そして、古歌さんはこの断捨離が怖い。つーか薄ら寒いし薄っぺらく感じる。

有への執着が、無への執着に変わっただけって納得出来る。

溜め込んで貯め込んで物質の量がそのまま満足へ繋がる有への執着。

それを緩和する為に行うのが断捨離なんだと思います。別に有への執着を捨て去るんじゃない。過剰に行う執着を、緩和する為に断捨離ってあるんじゃないかな。

それがね、緩和を通り越してすり替わってるだけに感じる。

捨てること、持たないことにばかり執着して、その結果が無味乾燥。そして、これって実は有よりもタチが悪いんじゃないかな。

貯めることを調和する為に捨てるのに、今度は捨てることで調和もクソもねーよって状態に陥ってないか?

 

究極を極めて、それを矜持に生きる事は好きだし格好良いと思う。

でも、究極を極めるのではなく、真似をすることは愚かだと思うぞ。

言ってしまえば究極ごっこみたいな?上手く言えん。

 

取り敢えず古歌さんは、勿体無い精神の方が好きだ。

持ちきれなくなって取り零したとしても、古歌さんは欲張りだから出来るだけ持とうとするんだ。例え両手が塞がっても、足もあれば口もある。持ち続ける面倒の方が、捨てる面倒よりも好きだ。

 

そんなことをツラツラ考えた三分思考でした。

らぶぅーーー。