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日々妄想を逍遥

ダイアリーから移築。中身は変わらずに色々と、あることないこと書き込んでます。

覚書って話

雑記

グルグルするので、今日は覚書。


ニュースの特集で、老犬介護を話題にしていた。
人間のエゴがむき出しになっていると思った。生活環境の整備によって、犬も人も通常以上に長い気が出来るようになった。
例え寝たきりになり完全に他者の手によって生活を寄生するようになっても、それでもまだ生きていける。生き続けられる。
でも、それって幸せなのか。
私には解らない。自分のことではないので、あくまで他者のことなので一生理解出来ることはない。
解ったフリで言葉を連ねる事は出来るけれど。
医療機器の発達により、人は永遠の命を手にすることだって出来るのだ。
生きるだけならば、何時までも出来る。
ただし、その生に自由はない。
たくさんのチューブに繋がれて延命措置をされた人。できる限りの事をして欲しいと望まれた結果、それが今度は早く死んでほしいとの矛盾を生み出す。
延命措置には果てしなく金がかかるのだから。
ペットもそうだ。ペットの領域を超える。命を一つ己の手で預かり、出来る限りの世話をする。
その結果、寿命を超える長生きをする。人を世話するよりも負担は少ないかもしれない。
それでも、いつかは死にゆく命を悪戯に長生きさせる事が果たして人に許されるのか。うちの犬がもしも寝たきりになり介護を必要になった時に、現実的な問題でその費用を捻出出来るのか。
無理だろうなと思った。何も倫理的な問題じゃない。金銭的な問題で安楽死を選択するしかなくなる。
人間にそれは適用出来ない。
もしも、両親がそうなったら。私はきっと延命治療を望まない。
そのまま息の音を、一刻も早く止めろと願ってしまうかもしれない。


そんな事をツラツラ考えた。ジョージ秋山の「銭ゲバ」「アシュラ」には、そんな事を考えさせる魔力がある。
世の中金だ。金だけが全てだ。人の心もまた、金で動かせるのか。
金で買えないものは無いと思っている。そう思わないのは、余程の聖人か金の苦労をしたことのない幸せな人間だろう。
私も、そうなりたかった。
そう、ありたかったと思う。今も。



私の中に潜む獣、化け物。そんなのは、暇つぶしに取り出して眺めるだけでいい。飲まれては生きて行けない。
そんな子供な部分と折り合いつけて、この世界で生きていくしかないのだから。
折り合いの付かない暇なときぐらいは構ってやる。だから、それ以外の時は大人しく眠っていろ。
誰にでも潜む狂気。見つめるのは疲れる。でも、見つめずにはいられない。
原稿用紙の中に展開される幸福の形。
誰もが夢見る当たり前の幸福は、当たり前が故に手が届かない。誰しもがどこかで妥協し折り合いを付けて、何となく現状に満足するしかないのだ。
その折り合いが付かない人間が、欠けるのか満ちるのかは解らないけれど。
大人なフリして斜めに構えるのは防御本能でしかない。
子供でいられるのならば、子供でいたい。



人間とは、何とも醜い生き物で。でも私も人間なのだ。
その醜さすらも愛しえくれる相手に出会う事が出来れば、きっと誰もが幸福に生きていけるのだろうかと。そんな夢語り。徹頭徹尾ありえないけど。



なーんて事をグダグダ考えました。
この手の思考遊びは面白い。ただ屁理屈をこねくり回すだけだから。
だからなに?そう言って自分を笑うのは楽しい。
結局、ただの戯言でしかないのだよ。そう、取り敢えず自分を笑えればまだ正気だと思えるのだよ。
それでも、この考えは私の一部ではあるんだよねぇ。そこが困る。
単純に平面で人格を構成出来れば楽だろうけど。生憎多面体立体複雑怪奇極まりない、面倒な性格しちゃってるもんで。
裏表の無い自分とか、気持ち悪くて吐ける。
ってことで、らぶぅー。