日々妄想を逍遥

ダイアリーから移築。中身は変わらずに色々と、あることないこと書き込んでます。

何とか終了って話

何とか仕事が終わったぞー!!
ってことで見事に日付変更線をまたいだ古歌さんです。やっぱり無理だった。まだまだ修行が足りませんね。いや、まじで段取りは大切だって学びましたよ。関係ないけどキリンレモンがマジで上手い。この美味さはマジで神レベルだとかほざいてみる。お前、そんなことしてる暇あるなら寝ろよって話なんだけどね。
そうそう、こんな馬鹿みたいな事を書いてるけど、これでも地味なショックを受けてるんですよ?そう、蜉蝣の大祐さんが亡くなりましたね。記事では自殺か?なんて言われてますけど、信じたくないな。こう、古歌が一番真っ暗な時に出会って好きになって、それから結構好きでファンって言うか、時々無性に聞きたくなって安心するバンドだったんです。バンドは解散しちゃったけど、それでも大祐さんの声は聞けたわけで、上手く言えないけど、凄く好きだったんだなーって。その大祐さんの声を二度と聞けなくなった訳で、それが何だか悲しい。まだまだずーっと存在してくれてるって思ってたのに。
大切な物を失うって、何度経験しても慣れることはないんですよね。そんなことを考えてました。そりゃ、ずーっと何時でも考えてる訳ではないですよ?もちろん仕事だってあるし、色々考えることだってあるけど、それでも一瞬だけ開いた空白の部分で、ふと思って悲しくなるんです。
きっと、時間が経てばそれは薄くなって本当に気付かない場所に仕舞われてしまうんだろうけど、それでもこうして時々浮かんでは古歌を縛ると。
その感覚ってのは、どうも慣れることのない感覚なんですよね。むしろ、それに慣れたら最期、何も感じなくなりそうな気がする。嬉しいことも、悲しいことも、きっと他人事に感じてしまうと思うんですよね。それは嫌だなーって思いと、そうなったら楽になるだろうなーって思いが半分半分で存在してて、そんな話を以前仲間としてて、人間って面倒な生き物だねって。
忘れるって機能は凄く幸せな機能だと思うんです。それが麻痺してる人ってのは、きっと生きるのがキツイだろうな。思い出ってのは、結局感情の記憶だと思うんです。事象と共に覚える感情を忘れられないのは、きっと凄く辛くてシンドイことだと思うんだよね。
まぁ、所詮は無いものの想像でしかないんだけど。それでも考えると凄く足元が覚束無い。
駄目だね、こんな時間に一人で考えてると真っ暗になりそうだ。
明日も忙しいし朝も早いから寝ようかな。ニコニコの時報も鳴ったことだし。
こんなことを書きながらも音楽はニコニコだとか笑える古歌は、案外まだまだ大丈夫だって気になります。余裕が消えないように、自分を保って頑張るか・・・多分、適当にね。