日々妄想を逍遥

ダイアリーから移築。中身は変わらずに色々と、あることないこと書き込んでます。

Tatoo−黒い猫−

チッチと舌を鳴らしながら、少年は片手に皿を乗せて器用にバランスを保ったまましゃがみこむ。皿の上に乗るのは、濁った目をした魚の頭。


「ねこー、ねこねこ。出ておいでぇ、ご飯だよー。」


咥えた煙草をそのままに喋る少年の言葉は、少しだけ舌ったらずに壁に反響する。歓楽街の朝は濁った空気。まるで、皿の上に乗った魚の目みたいだ。


「カオル、何してるの?」
「猫、見なかった?真っ黒金目の美人さんなんだけど。」


馴染みの商売女が、けだるげに知らないわよと吐き捨てる。顔に出来た大きな痣が痛々しい美人は、煙草の煙を吐き出してから、猫なら路地裏にでもいるんじゃない?なんていい加減な助言をくれる。


「それ、だいじ?」
「平気よ。殴られるのは慣れてるもの。この痣が好きだって物好きな客がいてね。」
「ふーん。お大事に。」
「適当にね。」


朽ちたビルの中へ入り込む女を見送って、カオルは再び舌を鳴らす。
黒い子猫は、ビルとビルの隙間。僅かな陽だまりで間抜けた鳴き声を上げる。黒い毛並みに反射する太陽の光が綺麗で、カオルはその隣にそっと腰を下ろす。


「ご飯だよー。」


皿を地面に置いてやれば、顔を突っ込んで中身を貪る猫。そんな猫に微笑み掛けて、カオルも自分の食事だと紙袋からサンドイッチを取り出す。黒いニットパーカーは随分サイズが大きくて、袖も裾も目一杯余る、だぶつく服に笑いながら、カオルはサンドイッチを齧る。
チーズにレタス、トマトにベーコン、それからケチャップとマスタードにマヨネーズ。冷蔵庫にあるだけの具材を挟み込んで、それから熱い珈琲をポットに詰めた。
一口サンドイッチを齧れば、口の中で一気に色んな味が弾け飛ぶ。まるで、この街みたいな、グチャグチャで適当なサンドイッチ。大口開けて齧れば、それに相応しいパレードみたいに騒ぎ出す口の中。
控えめに齧れば、一つ一つの味が適度に混ざって無難に美味しい。


「猫、一人なのか?」
「にゃー。」
「そっかぁ。俺も一人。」
「にゃー。」
「別に、寂しくはないよ。そんな感情とっくに消えちゃった。」
「にゃ、にゃぁ。」
「うん。かもしれないね。」


猫と会話しながら、カオルはサンドイッチを食べ終わる。空っぽになった紙袋は丸めてジーンズにポケットに突っ込んで。珈琲を飲みながら煙草に火を付ける。
上がる煙を捕まえようと手を伸ばす子猫を抱き上げて、膝の上へ放り投げる。暫く動き回ってから、座り心地の良いポジションに収まって尻尾を巻きつけて丸くなる。そんな猫を撫でて、カオルは煙を吐き出す。


「かーおーるー。」
「うざい。」


二匹がのんびり日向ぼっこしていれば、呼んでもないのに現れる騒音。
ハヅキは、カオルの隣に座り込む。今日も絶賛人命救助の真っ最中だけど、カオルがいるから仕事は中断。今日のノルマは終わっている。それに、何も急いでやらなきゃいけない仕事じゃない。むしろ、趣味に近い。


「猫二匹。」
「誰が、猫だって?」
「じゃ、黒猫二匹。」
「変わってねーし。変態フィルター取って。」


一人分だった煙が増えて、空に吸い込まれていく。ぷかり、ぷかりと浮かぶ雲と並んでいく煙。
繰り返されるクダラナイ会話、他愛もない愚痴、世界への絶望と希望、協力と友愛の胡散臭さ、目端を通り抜けた鼠の名前、昨日の客、昨日殺した人間、肉と脂肪の塊への嫌悪、最近増えたギャング、サンドイッチの中身、膝の上で眠る子猫の名前、瞳の色、カオルの腕に飛ぶ蝶、ハヅキの見せる艶やかな殺意、世界の救済、新しい世界への扉。
尽きることのない話題は、朝日を登らせてお昼へ変えていく。キツク傾く日差しの強さは、きっと人を殺せるだろう。
カオルとハヅキは同時に立ち上がる。カオルの膝の上で寝ていた子猫は不満げな声を上げてから、要領よくパーカーのポケットに滑り込む。どうやら、まだまだ眠り足りないらしい。一体どれだけの時間を眠るつもりなのか。


「昼飯、何食べる?」
「うーん、サンドイッチ?」
「朝食べた。」
「じゃ、チャイナボウルでお粥でも食べようか。」
「賛成。ついでに、蜂蜜パンも。」
「いいね。」


二人は歩く。
夜とは違った顔を見せる昼間の歓楽街は、活気に溢れている。
道端で売られる菓子や、走る回る子供。はためく洗濯物は色とりどりに翻って、まるで万国旗のようだ。