日々妄想を逍遥

ダイアリーから移築。中身は変わらずに色々と、あることないこと書き込んでます。

執行人

叩かれるドアに、男は不機嫌そのもので誰だと怒鳴る。
昨日連れ込んだ女は外れで、今はベッドの上で横になっている。
折角気持ちよくなれる薬を飲んでだったのに、女は急に呼吸を止めて動きも止めた。男は、不機嫌そのものだった。


−ダン、ダン、ダン


一定の強さとペースで叩かれる扉。
我慢の限界で、男はいい加減にしろとドアに近づく。小さな覗き穴から外を覗った瞬間、男はドアと共に後方に吹っ飛ぶ。


「遅いんだよ。」


不機嫌な男よりもなお不機嫌に。ドアを蹴り飛ばした黒衣の青年は吐き捨てる。一歩部屋の中に入るたびに、靴の底から這い上がる不快感。青年は、ポケットに無造作に突っ込んだ手帳を取り出す。
モスグリーンの分厚い手帳の中には、びっしりと書き込まれた人名やら地名やら何かの成分表やら、雑多なことこの上ない。
他人からは意味不明なメモでも、青年には確かな情報の集まりらしい。
暫くページを捲って無造作に文字列をなぞっていたが、やがて一つの名前の前で青年の指が止まる。



「あんた、ルーフェスって名前であってる?」


男は、床の上に無様に這いずりながら青年を見上げる。自分の名前は、確かに青年が口にしたものだ。


「ま、どうでもいいや。住所はここだし、間違ってたらごめんね?」


まったく悪いと思ってない口ぶりで歌うように呟いた青年は、次の瞬間男の後頭部を思いっきり殴る。
床に顔面を叩きつけられた男は、自分の身に何が起こっているのか理解できない。


「早く終わらせるね。執行内容は停止だし。拷問とかじゃなくて良かったよ。あれ面倒でさー、それに野郎の悲鳴聴く趣味もないし。しかもさー、聴いてよ。この仕事すげぇ安いの。アンタの値段は低いのね。それなのに、俺がわざわざ出てきたのは、依頼主が面倒だからなんだよ。失敗は許されないからお前行ってこいってさ、そんなの三下の仕事なんだよ。それにねー、俺は最近まで大きな執行してたからお疲れなの。そもそも、おれが失敗しないとか大概可笑しい話なんですけどー・・・って、もう止まったの?」


黒衣の青年は、掴んだままの後頭部に話しかける。ずーっと床に叩きつけていたので、すでに髪の毛は頭皮と共に頭蓋骨から剥がれてきている。真っ赤になった元は人の顔。潰れたトマトみたいで、今日のご飯はチキンとトマト煮にしようなんて連続する思考。



「なんだよー、人の話は最後まで聞けっての。」


出来上がった死体を放り出して、青年は室内を物色する。
ベッドの上で不健康な顔色した女だったものから、ネックレスや指輪を頂戴する。それから、僅かに残っていた現金に薬。冷蔵庫に入っていたハーゲンダッツのバニラアイスも。ついでに、キャビネットの上に放り出してあった薬。出来の悪い合成薬だけど、使い方次第で上手く利用できる。


「あ、このコートいいね。」


クローゼットの中、ぶら下がった真っ黒なコートは襟元に黒でフェイクファーが付いた温かそうなものだ。ためしに羽織ってみたら、少しだけサイズがデカイものの着れる。青年は今まで着ていたコートを床に放り出して新しいコートを身に着ける。クリーニングから還って来たばかりなのか、僅かに香る洗濯屋の匂い。
これで、青年のお仕事は終わりだ。
最後に蹴り飛ばして外したドアをキチンと取り付けて、退場。
部屋に残ったのは、すでに人相が解らないぐらいにぐちゃぐちゃに潰された男だったものと、ベッドの上で横たわる女だったものだけ。



鼻歌を奏でつつ階段を降りれば、待っているのは黒い車。


「お帰り。お仕事はどうだった?」
「終わったよ。」
「そのコートは?」
「いいでしょ?暫くはこれにする。」


助手席に埋まった青年は、両膝を抱えて小さくなると、膝の間に顔を埋める。



「ちょっと寝るね。」
「おやすみなさい。」
「うん。」


黒衣の青年の仕事は、執行人。
与えられた仕事を的確にこなす、感情の無い執行人。